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ログのつらなり

書評:自意識とコメディの日々

2021/12/03 刊行:オークラ著『自意識とコメディの日々』読了。
https://books.rakuten.co.jp/rb/16960489/
https://www.amazon.co.jp/dp/4778317793/

『大阪はお笑いの街』
これはそうだろう。では、
『東京はコントの街』
これはどうだろうか?

バナナマンラーメンズアンジャッシュバカリズム、そして東京03などが演じている『日常の中のちょっとしたズレから産まれる違和感をすくい取った笑い』や『シチュエーションの中に仕込まれた伏線をガサっと最後にまとめて回収するような笑い』は、ド突き漫才や吉本新喜劇の世界とは異なる、独特の魅力を放っている。自分もこれに魅了され、以前はよく劇場にコントを観に行ったものである (今となっては信じられないが、バナナマンの公演の前には、当時の事務所であった M2 カンパニーから手書きの葉書による宣伝が届いていた)。

本書はそうした笑いの裏に存在している構成作家:オークラ氏の自伝である。オークラ氏は1973年生まれ。自伝を出すのは表舞台の人間か、人生の終盤を迎える人間が通例だろうが、氏は裏方であり、まだ50歳手前の現役バリバリである。従って本書は、自伝という体裁をとりつつも、1990年代後半から今に至るまでの『東京がコントの街になるまでの変遷』を綴ったドキュメンタリーとしての読むのが適切だろうし、著者の意図もそこにある。

1990年代、お笑いには一つの革命があった。それは松本人志の存在である。教室で一番オモロいヤツは『クラスで一番のひょうきん者』ではなく『それを観て横でニヤニヤしているヤツ』であるという、いわゆる『メタな視点』という価値観を持ち込んだ。これの衝撃はすさまじく、スクールカーストの上下関係が一変・・・することはなかったけれども、必ずしもカースト上位に居なかった者に『この笑いがわからんヤツはセンスがない』というニッチだけど確固たる居場所を提供し、大量のフォロワーを産みだした。
その結果、お笑いを志す若者が多く現れ、彼らは全て松本人志を目指していた。彼らは松っちゃんと同じく、常にどこか批評家目線であり、決して他人の芸で軽率に笑うようなことはない。オークラ氏も例外ではなかったが、あまりにも大勢の者が同じスタンスを取っているので、これでは競争に勝てないことに気付く。

オークラ氏はその後、彼らとの差別化を図る過程において、『システマチックな笑い』そしてシティボーイズティン・パン・アレーの影響を受けた『総合芸術としてのコント』を目指すようになる。これが必ずしも簡単な話ではなかったことは本著に書かれている通りであり、それを支え続けたのが『自意識』という高い志なのであるが、折しもそれがボキャブラオンバト~エンタ~レッドカーペットからキングオブコントに至るまでの時代のうねりと呼応し、様々な出会いや別れと葛藤を通して徐々に現実化していくところがビビッドに描かれている。華やかな舞台裏で色々な発見や失敗やなども積み重ねながら、成功の階段を登っていく様子は青春モノとしての疾走感もあり、ここが本書の大きな読みどころの一つだろう。

その後、作戦が功奏し世に出るようになってからの忙しい様子も描かれているのであるが、メインカルチャーであるテレビとの距離感がまた、現代的であるところがとても印象深い。オークラ氏が支える東京03は、キングオブコントで優勝したにもかかわらず、その直後からしばらくはテレビの中に居場所はなかった。しかし今、テレビの方から彼らを追いかけるようになった。テレビの世界で東京03の居心地を悪くした原因のS氏はもう居ないし、東京03が無理矢理リアクション芸やバラエティの司会を担当することも・・・なくもないけど無理してやらされている程ではない。年末年始のお笑い番組でも彼らはちゃんとコントをやるし、角ちゃんはドラマで、飯塚は CM で、その演技力を発揮している(豊本はもっと頑張れ!)。

奇しくも最新号の Quick Japan (Vol.158) は東京03特集で、表紙には『理想のコント師』と記されているが、ここで言う『理想』とは、単独公演のチケット代が主たる収入源であり、映像や音楽といった複数の芸術を組み合わせた演出で一つのストーリーが成り立っている舞台を見せることである。その活躍の場はテレビでもなければ、大阪中心でもない。オークラ氏が目指した世界、コントの街である東京から発信される世界がそこにある。今やチケットはかなり取りづらくなってしまったが、また舞台を観に行きたいと思った。